宮野孝裕 ご紹介
2015/9/1宮野孝裕 ご紹介 フルコンタクト空手の発祥、巨大組織、極真会館。 また他流派の選手は審判、観客、役員等完全アウェーの状態での試合となるため、サッカー日本代表が海外で試合をするかのような厳しい空気の中での試合となる。 そんな状況の中、勝つには「誰が見てもわかる圧倒的な判定」もしくは「倒す」〔技あり&1本勝ち〕であった。 宮野は倒す技術を日々研究し「上段膝蹴り」という自身の必殺技を完成させる。 この上段膝蹴りを武器に97年の極真会館〔現新極真〕ウエイト制全日本大会に初出場。技ありや一本勝ちを量産し第3位に入賞。 翌年の全日本大会ウエイト制大会では「膝蹴り」が研究されるもそれを上回る技術で1本勝ちを量産。準決勝までの4試合はすべての試合で技あり&1本を奪い勝利。 他流派の悲願であった初の他流派極真全日本チャンピオンとなる。 メディアからも大いに注目され「撃墜王」と呼ばれる。 2001年にはハンガリーで行われた極真世界大会〔ワールドカップ〕に出場。 全階級で海外旋風が吹き、日本人選手が次々と敗退するなか宮野は日本人として唯一決勝戦に進出。 決勝ではロシアのカラシューク・ビクトールを破りついに他流派初の極真世界チャンピオンとなる。 この記録は2023年現在も破られていない空前絶後の大記録となっている。 その後は総合格闘技、キックボクシング、空手ワンマッチにも果敢に出場し好成績を残す。 |